坂本真綾20周年記念LIVE “FOLLOW ME”@さいたまスーパーアリーナ
なんでもない普通のことが特別なんだ。
−そう彼女が呟いた台詞を理解した気持ちでいた。
誕生日じゃない日。
怒られて落ち込んだ日。
恋人にこっぴどく振られた日。
人生には様々なアンラッキーがあって、それをも愛しく思える大人になりたかった。
2015年4月25日。
坂本真綾の20周年ライブへと足を運んだ。
最初にかぜよみというアルバムの名が付いたライブツアーに友人から誘われて生の声を聞いて仰天し、翌年の武道館ライブでは何度泣いたかわからない程度に涙した記憶をつい昨日のように思い出す。
しかし、ここ数年彼女のライブが増えるに従い、慣れが出て、最近の活動にも少し一定の距離が開き始めたかなと思っていた矢先のライブだったことを冒頭で申し上げておく。
−結論から言うと、僕の青春と共に歩んできた音楽の一つであった彼女は、もっともっと先を見据えていて、これからの10年や20年に向け歩き出していた。
正直なところ、自分の中で泣きに泣いた武道館ライブよりもずっとずっと印象に残るライブだった。
ライブが終わって2日経った今でも、どこか地に足がつかないような不思議な感覚がずっと体を覆っている気がする。
2010年の武道館ライブは、お祭りだった。
師である菅野よう子がサプライズで登場して鮮烈な印象を残したり、彼女自身が一度投げ出したギターを手にし、しかも歌いだしたら弾かないという面白さだったり。
一方で、アンコールで出てきた鈴木祥子がポケットを空にしてを歌って歩き回るという場面もあり、ある意味では坂本真綾自身よりも、いろいろな飛び道具のほうが印象に残ってしまった気がする。
ただし、上にも書いたように、今でも本当に素敵なライブだったと思っているし、宝物ではあるのだけど。
そんな武道館でも、I.D.という曲のMCで印象的な場面があった。
まるで語りかけるかのように自分の存在意義を確かめる書いた歌を歌うという内容だったと思う。
前置きが長くなったけれど、今回のライブは、そんな武道館ライブと違い、印象に残っているものがすべて坂本真綾という人そのものだった気がする。
サプライズではなく、ゲストとして菅野よう子が迎えられていたのだけど、彼女のピアノそのものは相変わらず聞き惚れたし、温かいものだった。
ただし、いわゆる衣装替えでピアノソロとして使われる贅沢さも、ピアノソロの中で菅野さんが真綾作曲のeverywhereを弾くところも、すべては坂本真綾という人が5年という時間の中でしっかりと自分をプロデュースし、もっと先を歩んでいるというとても眩しい光景だったように思う。
僕が今回まずうっかり涙腺を滲ませてしまったのは、プラチナという多くの人が知っている名曲だ。
ここのところ歌われる機会も多かったのだけど、菅野よう子のピアノの前に立ち、「I'm a dreamer」とアリーナの上空へと浮かんでいく力強く伸びる声に、ものすごく感動してしまったのだった。
−ああ、なんて美しい人なんだろう。
ここのところ思っていた少しの不満も一気に飛んでしまうほど、背筋をピンと伸ばしまっすぐ前を見て歌う彼女が眩しく映った。
そして、「菅野さんの前でどうしても歌いたい曲がある」と歌われた「光あれ」の歌声の説得力ときたら。
少しずつ手元の明りが点る演出にも、花道で天に向かって手を伸ばす彼女を温かく見守る観客とバンドメンバーの一体感。
会場を埋め尽くすたくさんの温かな光に少し酔ってしまった瞬間だった。
ハイライトは彼女自身の作曲であり、最新曲の「これから」だ。
演奏の前に「この20年で間違えたことはたくさんあるけれど、後悔したことはない」と言い切る姿がとても眩しかったのだけど、そのあとに過去の映像と対峙しながらやわらかい表情で歌をつむぐその姿は、後悔しないという言葉が嘘じゃないということを雄弁に物語っていたように思う。
今がいつも一番輝いてる。
自分がそう言えるように、今日も歌を口ずさみながら歩いていこうと思う。
素敵なライブをありがとうございました。
音楽の作り手でも弾き手でもある僕が、音の話をまったくしない少し珍しい感想でちょっと我ながらおかしいですね・・・。
扇谷さんのピアノソロだったり、恐ろしく正確でリズム感のいいドラムだったり、キレのいいベースラインだったりと、音楽的なアプローチで書きたいことはたくさんあるのだけど、どうしても適わないなあ、かっこいいなあと思ってしまったあの瞬間を綴っておきたくなったのでした。
I WILL follow you!